先日、こんな記事を書いた。
その記事の中で、こんなことを書いた:
引用:
Substackに関して、ずっと使ってきて理解している点として、やはり
日本人の一般的な書き方・投稿の仕方では、Substackでの収益化はほとんど見込めない
少なくとも英語で発信しないと収益化は難しい
というところ。
しかし、なぜ難しいのかをちゃんと言語化できていなかった。
最近、日本人ユーザーの大量流入があり、それを眺めながら改めて考えた結果、これは単に「言語の問題」ではなく、もっと根深い文化的な構造の問題だという考えに至った。
Substackが前提としている「書き手」像
Substackというプラットフォームは、英語圏の「独立したコラムニスト」や「インディペンデント・ジャーナリスト」の文化を土台にして設計されている。
英語圏には、新聞や雑誌の時代から「個人の視点に対価を払う」という習慣がある。
読者がお金を出すのは「役に立つ情報」だけではなく、「この人のフィルターを通して世界を見たい」という視点(Context)への信頼だ。Substackの月額5ドル(現在、日本円で約800円)という最低価格設定は、この文化を前提にしている。
それ以外でSubstackと相性が良いのはFinance/金融系のPublicationだと思う。
読者側の経済合理性が明快だからだ。
月8ドルの知見がたった一つの投資判断を改善すれば、年間80ドルの購読料は即座に元が取れる。購読を「コスト」ではなく「投資」として正当化できる。
さらに、読者層にはポートフォリオマネージャーやBloomberg・FTのジャーナリストといった高可処分所得層が自然に集まり、月8ドルは誤差のような金額になる。
そして、主流メディアのカバレッジには出てこない深度の分析が価値になる。
たとえば先だってXでも大きく話題になったCitriniのPublication。
ホルムズ海峡の地政学リスクを分析するために実際に現地へ赴き、スピードボートでイラン沿岸に接近し、現地の密輸業者や政府関係者への取材を経て投資判断を導き出している(Citrini Research: Strait of Hormuz Field Trip)。この「そこまでやるのか」という分析の深度のギャップそのもの*が購読料を正当化する価値になる。
このPublicationは月額125ドル。今の日本円で、約2万円。。
つまり、Substackの収益モデルが機能するには、「読者が購読料を正当化できる構造」と「主流メディアにはない深度」の両方が必要になる。この条件を満たさずに「Substackで稼ごう」と思っても、構造的に厳しい。
一方、日本の書き手が今Substackに持ち込んでいるのは、X(旧Twitter)やnoteで培ってきた作法だ。
「フォローしあいましょう!」という呼びかけが飛び交い、相互フォロー・相互推薦(Recommendations)が「互助会」的に行われている。Notesには短文が連投され、タイムラインはX化している。
この行為・振る舞いは、Substackの設計思想と照らし合わせると、かなりのズレがある。
注:RecommendationsそのものはSubstackは推奨している
Substackの共同創業者たちが繰り返し述べてきたのは、「アテンション・エコノミー(注目の奪い合い)からの脱却」だ。
投稿は読者のメール受信箱に直接届く。
それは「相手の家に手紙を投げ込む」行為に等しいので、慎重に行うのがマナーとされる(そういう主張を書いた記事が反応を集めていた👇)。
👇「投稿は時々にしてください(投稿回数を控えましょう)」
「数を増やすこと」ではなく、「深い信頼関係を築くこと」がSubstackの思想の根幹にある。
今の日本の「フォロー祭り」は、残念ながらその思想とは逆方向に走っている。
日本人の「読み手」もSubstack向きとは言えない
書き手だけの問題ではない。
日本人の「読み方」そのものが、Substackの設計と噛み合っていない。
日本のネット上での記事の読まれ方は、基本的にcherry picking(つまみ食い)ではないだろうか。
X(Twitter)の「バズ」で気になった記事をクリックする。
Googleで「○○ やり方」と検索して、答えが得られたらそのサイトの他の記事には興味がない。
「この記事が面白い」とは思っても、「この人の他の記事も全部読みたい」とはなりにくい。
日本でnoteが成功しているのも、特定の書き手のファンになるというよりは、「noteという大きな雑誌の中に面白い記事が並んでいる」という感覚で消費されている面が大きい。
noteでは100円から単発で記事を買える。
「この一記事だけ面白そうだから買おう」という「ついで買い」が成立する。
注:もちろん一部のインフルエンサーは月額サブスクを達成している例もある
Substackはそうではない。
月額800円(月5ドル)を払うということは、「この人の全知見をフォローし続けたい」という深いコミットメントを意味する。
読者にとっては「自分の生活の一部にその書き手を組み込む」という決断だ。
英語圏では、この「一人の書き手を長期的にフォローする」という習慣が、新聞のコラムニストを追いかけていた時代から連綿と続いている。
日本にはその土壌がまだ薄い。
結果として、今の日本人の流入は「書き手同士の互助会」になりやすい。
全員が店主(書き手)で、客(純粋な読み手)がいない市場だ。
義理のフォロワーが1,000人いても、月800円を払ってくれる人がゼロなら、収益化は成立しない。
「神格化」という日本特有の落とし穴
もう一つ、Substackの「書き手と読み手が対等に向き合う」モデルが日本で機能しにくい理由がある。
日本では、個人の発信者が一定の人気を得ると、「対等なリスペクト」ではなく「崇拝」か「所有」の二択に陥りやすい。
英語圏で個人のコラムニストやジャーナリストを支援する文化は、必ずしも「その人がすごいから」という神格化に基づいていない。
どちらかというと、「自分の知性を刺激してくれるパートナーへの対価」という、ドライで対等な信頼関係だ。
意見が合わなければ購読をやめるし、対等に批判もする。
日本では、これが違う方向に行きやすい。
「個人の発信に課金する」という構図が生まれると、「ファンクラブ(アイドル化)」か、もっと濃くなると「オンラインサロン(崇拝・宗教化)」に変質しがちだ。
読者は「内容」よりも「その人が言っているから」という理由で課金する。
一見すると強固な支持に見えるが、書き手にとっては「読者の期待する自分」を演じ続けなければならない檻になる。
YouTubeのゲーム配信者を例に挙げると分かりやすい。
日本でも成功している配信者は多いが、彼らの多くは「崇拝してくるオーディエンス」に対して辛口になる。
(個人的な体験:見ていてそういう発言が飛び出ると胃がきゅっとなる。。)
彼らは崇拝が始まった瞬間に、発信の自由が死ぬことを本能的に悟っているのだろう。
逆に、崇拝を許容してしまう配信者(VTuberなど)は、一歩でも「期待された理想像」から外れた瞬間に、崇拝が猛烈な憎悪に反転し、炎上する。
注:PixivのFanboxがどういう状況か、あまり可視化できていないので把握できていないが、、「イラスト等であればある程度は」というところだろうが、テキスト勝負だとまぁ結果は想像の通りなのではないだろうか、と思うところ。
これは「書くこと」になると、さらに深刻になる。
文章は動画よりも、読み手の脳内で「自分勝手なイメージ」が増幅されやすい。
日本語で熱狂的な支持を得てしまうと、書き手は次第に読者に忖度した文章を書かざるを得なくなり、結果として筆が死ぬ。
ネトスト(ネットストーカー)も怖い。
Substackが理想とする「独立した個人の言論」というモデルは、日本では「教祖と信者」の構図に変質してしまうリスクが常につきまとう。
Substackの公式へ:日本語でのメッセージが必要だと思う
ここまで書いてきたことは、「日本人がダメだ」と言いたいのではない。
Substackというプラットフォームの設計思想と、日本のネット文化の間に構造的なギャップがあるということだ。
今のところ、Substackの公式は日本語で「うちはこういうことがwelcomeで、こういうのはそぐわないですよ」というメッセージを一切出していない。
その結果、新規ユーザーは使い慣れたX(Twitter)の作法をそのまま持ち込み、Substackを「高機能なX」として消費している。
義理の相互フォローはメールボックスのパンクを招き、自然に解消される。
連投はSubstackの仕組み上、長期的には損にしかならない。
日本には「空気を読む」「同調圧力」という文化がある。
公式からの明確なメッセージがないまま放置されると、Substackが本来持っていた「ストイックで質の高い言論空間」というブランドが、日本市場だけ「互助会や情報商材だらけの場所」というイメージで固定化されてしまう可能性がある。
「ここは静かに思索し、深くつながる場所ですよ」という一言が、日本語で、公式から発信されるだけでも、状況はかなり変わるのではないかと思う。
おわりに。
今の日本の「フォロー祭り」は、おそらく数ヶ月で落ち着く。
義理の繋がりは剥がれ落ち、「毎週数千字を書き続ける」という現実に耐えられない層は去っていく。
「たとえ誰の目に留まらなくても書くのを止められない、投稿せずにいられない」という気概がある人しか残らない、と考えている。
一応、そういうったスパルタ(?)な努力をしなくてもナチュラルに購読者を集めることに成功している日本人勢のPublicationも目にしている。英語で書かれた料理レシピとか、写真とか、日本企業紹介系とかのPublicationがそれ。
その後に残る少数の「本物の書き手」たちが、日本語圏でもSubstackの思想を体現してくれることを願っている。
ただ、その「自然淘汰」を待つだけでなく、公式からの歩み寄り——日本語でのガイドラインや思想の発信——があれば、もう少しスムーズに、このプラットフォームの本来の価値が日本にも根付くのではないか。
2021年からこの場所を静かに使ってきた一ユーザーとして、そう思う。
ちなみに自分も、そろそろ英語での発信に重心を移動しようと考えている。
【追記】
この記事を投稿したあとで、このような「振り返り」記事も投稿しました。



